熊本県玉名市にある和菓子専門店「菓舗 菊水堂」

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有限会社 菊水堂
熊本県玉名市高瀬524-4【地図
TEL:0968-73-2223
FAX:0968-73-3330
【営業時間】8:30~19:00
 【定休日】日曜日※繁忙期を除く


全国菓子大博覧会(ぜんこくかしだいはくらんかい)は日本の地方博覧会のひとつで、和菓子を中心に、洋菓子・スナック菓子等も含めた日本最大の菓子業界の展示会です。

玉名地域の土産品で、歴史、文化、自然等の「玉名らしさ・こだわり」が感じられ且つ安全・安心・健康や地産地消を踏まえた商品を、学識経験者などで構成された玉名ブランド認定審査委員会の審査を経て認定された商品です。詳しくはコチラ

商品が観光土産品の審査会などで合格し、適正な表示をしていると保証したものであり、消費者はそれを信用して安心してお土産品を選ぶことができます。
第十四回(S32年)全国菓子大博覧会名誉総裁賞
玉名ブランド認定品
全国観光土産品認定品
昭和天皇献上菓子

創業昭和22年より、熊本・玉名の銘菓として名高い菊水堂の代表銘菓である「長者饅頭」は、肥後の国玉杵名に古くから伝わる「ひきの長者伝説」にあやかり、このお菓子を食べた人の長寿と繁栄を願って作られたそうです。
北海道十勝産のあんの中に、独自の製法で作る黄身あんを練りこみ、ソフト なクッキー生地で包み焼き上げました。
表面にまぶしたグラニュー糖が味わいも食感も楽しい、当店を代表するお菓子です。
『疋野長者の伝説』
千古の昔、都に(※1)さる(※2)やんごとなき姫君がおられたが、どうしたことか訪ねる(※3)公達とてなかった。
姫は、観世音に良き縁をと祈られたが満願の夜、夢のお告げに「肥後の国玉杵名の郡、立願寺村疋野の里」小五郎という男のもとに行くように、と仰せられたので、女房十二人、侍四人を従え、はる遥る幾山河を超えてお下りになった。
姫は小五郎の家をたずね求め、一夜の宿を頼まれるが、小五郎は炭焼風情の貧しき者、米の蓄えとてないのでお断りすると、姫はお金を与えて米を買いに行くようにとのお言葉、小五郎はやがてしぶしぶ出かけた。
途中まで行くと、小さな沼のほとりに白鷺がたわむれていた。これを見た小五郎は、姫にもらった金を投げつけた。
(※4)手練の狙い打ちに、脚に傷をうけた白鷺は、湯煙り立ちのぼる田圃の溜りに降り立ち、見ているとやがて元気よく飛び去った。不思議に思った小五郎がこの田圃を探ると地の底からこんこんと熱いいで湯が湧き出ていた。
驚きのあまり米も買わずに引き返した小五郎を姫が責めると「あんなもので米が買えるものかあれに似たものならこの山にたくさんある」という。
姫は、「実はこれは、大切なお金というもので、これを造り出すと長者になる」と教え諭し、夢のお告げを語って、夫婦となりやがて小五郎はいで湯湧く、疋野の里に(※5)いおりをむすび製鉄の(※6)業を興し(※7)弥栄に栄え栄えて数多の(※8)近習を従え使うほどの「疋野の長者」となったと伝えられます。

※1 ある ※2 身分の高い  ※3 貴族の若者 ※4 よく慣れた手ぎわ
※5 粗末な住まい ※6 仕事・職業  ※7 ますます ※8 そばに仕える人
≪後記≫
「肥後の国玉杵名」は、熊本県玉名市であり、長者屋敷伝説の地は現在の疋野神社の北側にあります。
疋野長者が、金を造ったあとは県立公園小岱山麓、蛇が谷の奥にある、俵石のふもと。
そこでは上代製鉄跡が発掘されましたし、白鷺の傷を癒した湯が実に「玉名温泉」なのでございます。
菊水堂主人識すに銘菓「長者饅頭」はこのいで湯の里で繁栄を極めた疋野長者の伝説にあやかって謹製したものでございます。
原料を精撰し栄養豊かに滋味塗る材料を配して独特の風味を持たせ、賞味される人々の長寿と弥栄の願いを込めております。
格別のお引き立てをお願い致します。
第十八回(S36年)全国菓子大博覧会厚生大臣賞
全国観光土産品認定品

この銘菓は戦場に花と散った美少年のおもかげを偲ぶ観光土産品として、ひなびた郷土色を生かし、風味豊かな近代感覚を盛った逸品でございまして、広くの方にご愛顧をいただいております。
刻み栗の入った小豆こしあんを、バター風味の皮で包んだ焼饅頭です。バターの香りと栗の味わいがバランスよく仕上がっています。
西南の役は、明治十年、時の政府の施策に不満をいただき、要路大官の所信を糺さんと、薩摩隼人に加うるに、勇猛果敢を以って鳴る熊本隊の援護で東上する、西郷隆盛(南洲)の一軍と、これを迎え撃つ官軍が田原坂(熊本県鹿本郡植木町字豊岡)の険にその雌雄を決せんと、三月三日より前後十八日間激戦死闘、昼夜に亘り降りつづく春雨に、戦は困難を極め、西南役中最大の戦場となったところ、両軍相対する間隔は十数米にに過ぎず、特に官軍をなやました熊本少年隊は鮮血を原野にそゝぎ、屍を山野に埋めて、雨の中挺身刀を揮って敵陣に斬入った。
世にいう馬上ゆたかな美少年とは、これらの少年烈士の武勇伝を伝えたもの今日なお全国に熊本民謡「田原坂」のうたとなって喧伝せられている。 明治天皇もまた、田原坂の激戦をしのばれて一首の和歌を詠まれた。
『ものゝふの
 せめ戦いし田原坂
まつも老木に
 なりにけるかな』
というのであり明治三十五年のお歌であります。